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第733話・・・目的と手段

橋本での講義の中で「本質と理念」の話をした。
本質とは何か?・・・それは人間とはなんぞや?と問われるくらい
難しい質問だけれども、だからこそシンプルに考えよう、つまり
「これがあるから人間であって、これをなくしてしまったら人間じゃないよ!」
そんなふうに考えたらいかがでしょうか、みたいな説明をした。
昨晩のNHK夜10時からの再放送「ハゲタカ」を見たら
「不幸は二つ分かれる。金が無いから不幸になる、金があるから不幸になる」
そんなドラマやった。
あれれ???・・・そうそう、金があると不幸になるんだ。なんやバレーと似てるな。
「勝てないから不幸になる、勝ちすぎると不幸になる」・・・まったく同じや。
なんでそないなるんや!なんで試合に勝ったら不幸になるんや?
試合に勝ってみんなが幸せになることはそんなに難しいことなんや。
ではなぜ、不幸になるとわかってるのにみんな一生懸命勝つことにがんばるの?
そやな、そういう人は「勝てばみんな幸せになる」と思ってはる人なんとちがう?
なんやわかるような、わからんような・・・。
せめて、試合に出る人も出ない人も喜び合えるチームをつくりたいものですね。
試合に勝っても、チームの中で一人寂しくポツンとする人間をつくったらアカン。

勝つのは目標であって目的ではないから。
目標を達成するために手段があるから。
目標は具体的だけど、目的達成はず~っと先でもいいんと違う!
子供の頃からの人生の目的を大人になっても追い求めていけるなんて
考えただけでもゾクゾクするやん!

話が本質から脱線しました。すみません。戻します。

逆に、「あれば便利だけれどなくても生きていくには支障は無いもの」に振り回されないようにしよう!地位、名誉・・・・これらはあればいいかもしれないが無くても生きていけるものだ。知識も技術も肩書きも、みんなあればいいけど無くても構わない。自分なんかさっさと肩書き外してしまったよ。もともと肩書きなんてあまり信じてなかったから。肩書きという魔物があるからゴマすりやコビ、ヘツライも生まれるわけ。そんなもんは自分には必要はない。しかし、人を愛するとか、慈しむとか、真面目さ、一生懸命さ、誠実さ、協力する、助け合う、困った人を助ける・・・・こういういものがなくなったらどうなるか?これらの教えの根本はすべて陽明学や儒教儒学、または仏教の基礎根底をなすものである。
坂本竜馬はパソコンなんかできなくても歴史に残る人物ではないか・・・などなど。

で、バレーの話しにつながっていくのであるが、例えば腕の振り、肩の動きを考えてみよう。
肩がスムーズに楽に、思うように動かせたら速い球を投げれるし、強いスパイクを打つことも
できる。そのためにいろいろなトレーニングがある。しかし、目的は「肩の動きをよくする」ためにである。いつの間にか手段が目的にすりかわってないか?と反省することが大事ですよという話をした。例えば肩甲骨の動かし方やトレーニングの重要性が叫ばれているが、肩甲骨を自由に動かのは肩を自由に動かせるという目的があるからであって、肩甲骨そのものを動かすのが目的ではない。目的と手段を混同しないようにしましようということです。自然体バレーの体の使い方のベースになっているPNF理論もそうである。バレー=PNF理論ありきではなく、バレーボールをより上達させるためにPNF理論の優れたところを取り入れるという考えでやっているだけの話ですよ、ということ。ここはとても大事なところ。力の抜きもそう。力を抜くべきところで抜く、入れるべきところで入れるというのが目的であってなんでもかんでも力を抜いてしまうのが目的ではないはず。、最後に「僕が提供している考え方やドリルはみなさんにとってはあくまで参考にしてください。考え方のヒントであってこれがすべてでもないし絶対的なものでもありませんよ。どんどん変わって行きます。大事なのは根っこのところです。なぜそういう考えに至るのか?基本、基礎の考えの部分をしっかり捉えてください。僕がみなさんに期待しているのは皆さんの考えの広がり、展開力、応用力です・・・・」という話をした。
 
 そして受講生の投稿(MLの日記)をみて少しは響いてくれてるのかなという手ごたえみたいななものを感じた。それは次のような内容であった。『2日目午前の講義で、『本質と理念』について話され、『本質に迫っていない』と書かれた言葉が、突然ズシンと自分に響いて、ハッとした。自分は自然体バレーを勉強して、色々なドリルやトレーニング方法を知っていると、天狗になってはいないか?自然体バレーのドリルやトレーニング、いや、バレーボールをする事そのものが、人間形成や自立を促すという『目的』にアプローチする為の『手段』であるはず。なのに『目的』にそった本質的要素を教える事をおろそかにして、目新しいドリルやトレーニングをただやらせて得意になっている。いつの間にか『手段』と『目的』を履き違えている自分に気が付いた。次の瞬間、塾長と目が合った。何か自分の中を見透かされている様に感じた・』

子供よりも純粋な心の持ち主やな、と思ってこちらがハッ!としました。
そういう感性がいいですね。ありがとう!
by kusanokenji | 2007-08-22 10:16 | ■連載“日々努力”