第711話・・・教育は大根作り
2007年 07月 19日
安岡正篤曰く・・・人間学のすすめから引用・・・
『面白いのは渋井大室の教育観で、教育は菊作りでなく、菜っ葉作りと同じだと思う。菊作りというものは自分の好みに合うように丹精して特殊な花を咲かせて、自分の気に入らんものはみな捨ててしまう。菜っ葉大根を作る者は、これに反してどんなものでもいい、うまく食えさえすればいいんで、これはきわめて万人に向く有用な食材である。教育は菊作りのような、特殊な人間を作るんじゃなくて、どんな人間でも、いい人間になるように仕上げることだということを言ってる。教育とか政治とかは菊作りではない。大根作りと同じだということである。大小あるいは上出来もヘボも、大小不揃い、さようなことはどうでもいい。何でもうまく作ってこれを食用に供する、そういうことが教育であり政治である。したがって非常に公平、寛大であり、今日で言うと社会的、民衆的、あるいは自由であります。』
スポーツの指導者にもそのまま当てはまりますね。
自分の好みに合うように丹精込めて特殊な花を咲かす・・・これが一芸教育?
気に入らないもんは捨ててしまう・・・・・・選手をコマのように扱う?
大小不揃い、上出来もヘボもいい・・・・・いいね!最高だ!
どんな人間でもいい人間に仕上げるんだ・・・いいね!こんな指導者の給料を上げろ!
★一隅を照らす指導者★の講義でも使ってます。
『面白いのは渋井大室の教育観で、教育は菊作りでなく、菜っ葉作りと同じだと思う。菊作りというものは自分の好みに合うように丹精して特殊な花を咲かせて、自分の気に入らんものはみな捨ててしまう。菜っ葉大根を作る者は、これに反してどんなものでもいい、うまく食えさえすればいいんで、これはきわめて万人に向く有用な食材である。教育は菊作りのような、特殊な人間を作るんじゃなくて、どんな人間でも、いい人間になるように仕上げることだということを言ってる。教育とか政治とかは菊作りではない。大根作りと同じだということである。大小あるいは上出来もヘボも、大小不揃い、さようなことはどうでもいい。何でもうまく作ってこれを食用に供する、そういうことが教育であり政治である。したがって非常に公平、寛大であり、今日で言うと社会的、民衆的、あるいは自由であります。』
スポーツの指導者にもそのまま当てはまりますね。
自分の好みに合うように丹精込めて特殊な花を咲かす・・・これが一芸教育?
気に入らないもんは捨ててしまう・・・・・・選手をコマのように扱う?
大小不揃い、上出来もヘボもいい・・・・・いいね!最高だ!
どんな人間でもいい人間に仕上げるんだ・・・いいね!こんな指導者の給料を上げろ!
★一隅を照らす指導者★の講義でも使ってます。
by kusanokenji
| 2007-07-19 16:34
| ■連載“日々努力”