第2945話・・・我は弓なり
2019年 07月 03日
「我は弓なり」
時代の変化に
柔軟に対応できないと
困るのは誰でしょうか

昭和の時代は「サインはV」の時代でした。
「バレーボール=気合と根性」という方程式が社会の常識。
バレーボールの専門雑誌も少なく
指導者から教えてもらうことが唯一の「学べる場」

その時代に「根性バレー」を叩き込まれた人が指導する立場になると「根性バレー」の継承者になるのが当たり前の時代。
かくして「根性バレー黄金時代」は平成にまで持ち込まれてしまい、何発叩いて勝った、何百セットやって勝ったと武勇伝がもてはやされ、それを真似する指導者もあとを断たない時代が続いた。
しかし、平成の後半になって、世論が一変しました。某高校の体罰による自殺者が出た痛ましい事件。その事件をきっかけに体罰指導者には世間の目が厳しく向けられるようになりました。しかし、ほとばりが冷めるとまた元のもくあみ。
「令和の時代」は今までとは明らかに違います。
ロボットやAIが人間の代わりに
仕事や作業をする時代です。
時代の変化に取り残されないように
自分をアップデートしていきましよう。
「我は弓である」福島正則
戦国時代に武勇によって名を馳せた豊臣秀吉子飼いの武将、福島正則は、秀吉亡き後家康の巧妙な戦略により、関ヶ原の戦いで家康側につき、正則の活躍で東軍が勝った。

家康が亡くなり、二代将軍徳川秀忠の時代になると、将軍家から疎まれた。事るごとに幕府から言いがかりをつけられ、見かねた正則の家臣が「殿は徳川の天下取りに一番の貢献をしたのに、この仕打ちはいかがなものでしょううか」と正則に不満をこぼしました。
家臣のこの言葉に対して正則は
「弓をみてみろ。敵がいるときは重宝この上ないものだが、国が安泰になり、敵がいないときは袋に収めて土蔵にしまわれているだろう。我は弓である。乱世には役立つが、平和な世では、そこらにおいては危ないので土蔵に入れられるのだ」と答えて、素直に幕府の指示に従うように家臣に行ったとされています。
戦国時代に必要とされた福島正則は、徳川家康により幕府が開かれた江戸時代にはいると、それまで価値のあった武勇が必要でなくなったのです。代わって泰平の世に必要なのはルール作りなどの知恵でした。時代が求めたものが「武勇」から「知恵」に代わっていったのです。
指導者も同じです。その時代に「必要とされる能力」というものがあります。自分が得意とする能力が、今のチーム、今の時代が必要としているのであれば大いに活躍できるだろうし、そうでなければ活躍の場はあまりないということになります。仕事もバレーの指導も同じです。変化に対応できる人間になりましよう。
