第2674話・・・元監督・現教頭の視点(67)
2016年 12月 12日
上の大会に行けば行くほど、こわーい人、濃いキャラの人たちがたくさん出てきます。代表者会議では、「仁義なき戦い」シリーズに出てくるような目つきが鋭くて、一クセも二クセもありそうな人たちがたくさんいます。
私もその中でもかなりの雰囲気を出していたと思います。ある時、妻から、バレー会場で見るパパの表情は「ギラギラしている」とよく言われました。最初の頃は、「そのぐらいの雰囲気を出せなきゃ勝てない世界なんだよ」と勝手に自己肯定していました。
しかし、草野先生と出会って、一番、衝撃を受けたのは、その穏やかな表情でした。私なりに草野先生の表情で想像していたこは、既存のバレー界に警鐘を鳴らし、「破壊と創造」を理念としたバレーで活動しているのですから、もっと「ギラギラした人」「多弁な人」「独特のオーラ」なんかを想像していました。しかし、その期待は全く裏切られました。表情が穏やかで和やかなんです。あまり余計なこともしゃべりません。自分の武勇伝なんかは一言も聞きませんでした。
何であのような表情、雰囲気を出せるのか。それは、自然体バレーを勉強していくうちにわかりました。「陰徳」です。自分のやったことを他人に自慢しない、黙々とよい指導を続けていくということです。
ギラギラしていたころの私はよくこんな言葉を発していました。
●「あんなことしてやったのに、少しも有り難く思っていない」
●「俺は絶対に悪くない。だから、謝る必要はない」
●「ついてこれないものは、しょうがない」
自分の行いが感謝されなくても平気になったり、自分が人に頭を下げれるようになったのは、草野先生からの教えで考え方を変えられるようになったからでした。
「自分に感謝の思いが返ってこなくても、そのお返しはどこかで来たりする。選手みんなが健康で事故にも逢わない。それだけで有り難いです」 そんな思いを抱くようになりました。
自然体バレーの指導者の皆さんは、どこかで表情にも共通項が出てきます。それこそが陰徳を積んでいる証拠なのだと思います。