第2662回・・・元監督・元教頭の視点(64)
2016年 11月 10日
過剰な喜怒哀楽
バレーの監督は、喜怒哀楽の激しい人が多い世界です。別な言い方をすれば、感情の起伏の激しい人とも言うべきでしょうか。喜んだり、泣いたり、落ち込んだり、舞い上がったりと・・・・・。 指導なんかでもそうです。さっきまで普通だったのに、試合が始まると別人のように怒りまくっている人、と思えば、今度はいいプレーが出て喜びを爆発させたりする人。 試合でもそうですね。特に小学生の試合の監督を見ていると、監督のパフォーマンス大会かなあと思うぐらい、喜怒哀楽を前面に押し出してワンプレーごとに感情を表現しています。派手なガッツポーズ、ふがいないプレーへの叱咤激励、タイムアウトでは、一方的にしゃべりつづける・・・。 私が思うのは、大人たちが感情を出し過ぎているのではないかということです。 私は弱かった時代に忘れられない経験があります。大会で有名な強豪チームと対戦しました。試合する前から、子どもたちは、相手の雰囲気に圧倒されています。加えて、ものすごい応援団も背後にいます。試合が始まりました。一方的な試合展開です。私も子どもたちも実力差に茫然としています。そこにさらに追い打ちをかけるように監督のパフォーマンスがダメ押しをしてきます。「よーし」「一気にはなせ」「手をぬくんじゃねえ」「もっと打ちまくれ」、自分のコートの選手に言っている言葉ですが、今思うと、相手への威嚇をありました。 試合が終わり、挨拶をしました。相手監督の見下すような視線と、どうだみたかという雰囲気がそこにはありました。 当時は、それがバレー界だと思っていました。この洗礼を乗り越えなければいけないとも思っていました。 しかし、洗礼とか、格を見せつけるということは、果たして必要なことなのでしょうか。 子どもの心をつかむために、一緒に喜んだり、時には本気になって叱ったりすることは必要です。しかし、衝動的な感情で生きる人は、私は危険な人と認識するようになりました。そしてそういう指導者は、あの人にかかわったら何をされるかわからないという雰囲気を漂わせて指導しています。 けど、自分もそんな方向性になっていた時代がありました。全身から危険な雰囲気を漂わせて・・・・・。 多分、こういった葛藤は、真剣にバレーに向き合っていれば、一度は通る道だと思います。大切なことは、その道を通りながら、間違いに気付き、自分の目指すべき指導の本質をもてるかどうかだと思うのです。 今、喜怒哀楽を前面に押し出して指導している指導者の方々へ。自分の感情を押し通そうとするバレー指導は、だんだん疲弊して、しまにいは壊れてしまいます。どうかそのことに気付いてください。
by kusanokenji
| 2016-11-10 09:03
| ■連載“日々努力”