第2649話・・・元監督・元教頭の視点(61)
2016年 09月 29日
公式戦が終わった後の6年生の指導
この季節になると六年生にとって最後の公式戦となる大会が行われていきます。上の大会に進出できなければ、六年生はそこで引退ということになります。
私のかつての指導法は、「厳しくされないことのアクセント」をつけることでした。どういうことかというと、公式戦が終わるまでは六年生に厳しくし、負けると「厳しくしない」というスタイルでした。負けたあともローカル大会等がありますが、新チームへと明確に方針転換していました。その中で六年生へは「今まで厳しい指導についてきてくれてありがとう」という言葉を投げかけていました。そんな言葉を掛けられると、六年生は優しくされることへの寂しさを感じます。そして、五年生以下には、「厳しくされることへの充実感」を植え付けるのです。
というか、日本全国、全ての部活において、こういった指導スタイルを貫いている指導者は多いと思います。ある意味、「厳しさのアクセント」は、部活の伝統的な指導スタイルと言っても過言ではないと思います。
しかし、私は自然体バレーに出会い、こういったスタイルにも疑問を感じるようになりました。
「公式戦という目的がなければ一生懸命にやらない選手たちを創りだしているのではないか」
「厳しさのアクセントで子どもを引きつける指導法は、子どもの成長を本質的に見据えているのものなのか」
監督生活の最後の方は、こんなことをぼんやりと感じていました。
公式戦が終わると、六年生は日記に「先生に厳しくされないバレーが何だかとても寂しいです」とよく綴られていました。そういった文言に「俺の指導法は間違っていなかった」と自己陶酔に浸っている自分がいました。この自己陶酔型の指導は、体罰指導者に見られる「殴って暴言をあびせて、とことん精神的に追い詰めて一時的に思考回路を破壊してから、優しい言葉を浴びせる」というスタイルと根底的には変わらないと思いました。
しかし、大切なことは、公式戦という目標がなくても、監督に厳しくされなくても「どんな時も一生懸命にひたむきに努力する選手」を創りだすことなのではないでしょうか。
どんな状況下でも素直に生き抜く選手を創りだす
こんな指導法が指導者にとっても選手にとっても目指すべきスタイルなのではないでしょうか。
公式戦が終わった後の六年生にどんな指導をしていますか?
このあたりも考えてみることも指導者にとっては大切な視点なのではないでしょうか。