第2644話・・・元監督・元教頭の視点(58)
2016年 09月 06日
「自分は勉強している」という強気気持ちが落とし穴
ライブでの講習会、ライン研修、DVD、書物等、自然体バレーを片っ端から勉強している方はたくさんいます。
自分も「バレー指導の技術を学びたい」「人間学を取り入れたい」と思って勉強していました。
しかし、それを人に伝えるとなると、感情のある人間同士のやりとりですから、どうしても伝わらないことがたくさんありました。例えば、こんな声があがったことがありました。
「言っていることはわかるんだけど」
「わかりやすいとは思うんだけど理屈っぽい」
「自分の言いたいことが中心過ぎて・・・・」
こんな言葉が耳に入ってきました。当然、相手に受け入れられると思っていたことが、他のチームの指導者や自分のチームの特に保護者には受け入れられないことでショックを受けました。
自然体バレーの「How To」を勉強しまくっていたころに、「自分の指導は本物ではない」と気付かされました。
もちろん自然体バレーの技術やコツを学ぶことは大切です。しかし、技術やコツを学ぶ前提として、相手の視線に立つ気持ちを持っているかどうかで、話す力の効果が大きく違ってくることに気付かされました。
自分の場合、相手の立場に立つことをおろそかにしてしまったので、話の内容は伝わっても「相手の心に届かない」「相手に納得してもらえない」という状況になってしまったのです。
自然体バレーには既存のバレー界の常識を覆していくような指導法と考え方があります。しかし、それらを声高々に伝えている人を時々見受けました。
「私は勉強している」
「私たちの目指すバレーはこうだ」
「だから、今までのバレー界はだめなんだ」
こういったスタンスで指導している人を見かけますが、あまり好ましいとは思いません。自分を美化したり、相手をけなすような言動は自分で墓穴を掘っているものです。
話し方のポイントは、「相手の身になること」であって、それができれば独りよがりの一方的な発信もなくなっていきます。
話し方一つで「この人はバレーを勉強している人」「信頼できる人」「人間力のある人」に変わってしまうのです。
せっかく自然体バレーを熱心に勉強されているのですから、それらを自分の「強み」に変わるようにしていくと、自分のバレー指導に大きく役立ってくるはずです。