第2629話・・・勝って学んだこと
2016年 07月 05日
【勝って学んだこと】
負けて学ぶことは多いが、
勝って学べる人は少ない。
理由は二つだ。
一つ、勝つことが少ないから
二つ、勝ったら嬉しいから調子に乗る
自分もそうだ。
ただ、50歳過ぎてから勝ったのがよかった。それまで勝ちたい、勝ちたいと、しょっ中、夢に出ていたけど、いつもどこかで負けていた。それで、ああ、もうワシは勝てん監得やなと思っていた時に勝ったのだからあまり浮かれる元気もなかったのがよかったんだろう。それとどうも苦手というか、受け入れられないことがある。大の男が、1点ごとに、ベンチで勝ち誇ったガッツポーズ!「おいおい、ちょっとくらい相手のこと考えんかい💢」と心の中で呟いていた。「コートの選手を鼓舞するためにやっている」らしいが、まあルールの範囲内であればそれもありか、って思うようにしていた。自分は28年間の監督時代でガッツボーズしたのは1回しか記憶にない。(でも、次の決勝戦では負けてしまった、後で見ると恥ずかしかった記憶がある)
一応、勝った時に思ったことは「これが若い時に勝っていたら誰でも『勘違い』するだろうな〜」と思った。それくらい一番(そのカテゴリでてっぺん)になるということは心地良いのだ。そして、自分の力を過信してしまうのだ。いくつになってもその「病気」は治らないのかもしれない。おそらく老いぼれになるまでわからんだろうと思う。何年経ってもその時のことを話したくなるのも無理はないが、それはやめといたほうがいい。なぜならそれが自慢話だからである。相手から聞かれたら話すぐらいがちょうどええ塩梅(あんばい)だ。
しかし、いつまでも勝ち続けるということはない。いつかは必ず負ける。勝った時には賞賛を浴びるが、次に負けると大変だ。決勝戦で負けても「なんや、負けたんか」の声しか届かない。価値観がおかしくなってしまう。周囲は、勝つためのプロセスなんかに興味はない。しかし現場はプロセスを見て欲しい。永遠に交わらない関係?って思ったものだ。つまらんと思ったのでもうこの辺が潮時だと思った時に辞めた。監督は辞めてもバレーボールは無くならないのだからワクワクして辞めた。次にやることがあるっていうのは人をワクワクさせる。だから「今」がある。引き際の悪い人は監督辞めたらバレーがなくなるって思うんだろうかね。だから、選手が「バレー辞めたい」って言ってきたら、「君が辞めてもバレーボールは無くならないから、またいつでもやればいいんだよ」と話をしてやればいい。桜の花は散っても、桜は無くならない、これが世の中の道理だからね。
ところで「勝って何を学んだ」のかを書こう。
1、すべての人が喜んでくれるわけでもない。
喜んでくれる人の数だけそうじゃない人がいる。
それを忘れると痛い目に合うだろう。
2、選手の犠牲の上に
監督の成長があることを知るべし。
3、浮かれている時ほど、
影で泣いている人がいることを忘るべからず。
4、弱い時に苦労を共にした選手を大事にせよ
5、勝った時にほめられると
結果だけを見るようになり
自分までプロセスを見ない
人間になるので注意せよ。(自分も選手も周囲も)
6、そのことを
「他人の目を気にすることを学ぶ」という
7、弱い時に相手してくれた人や、
いろいろ教えてくれた人を
粗末にすると信用をなくす