第2590話・・・元監督・現教頭の視点(34)
2016年 03月 10日
バレー酒乱タイプ、自画自賛タイプの共通点
□普段は穏やかなのにボールを持つと、人格が豹変。
ワンマン、スリーメンでは、サディスティックのような狂った言動。
□練習中は普通なのに試合になると人格豹変。
怒声・罵声のオンパレード。目つきが変わる。
普段はおとなしく、「いい人」と思われているのに、酒を飲むと、目つきがすわり、人にからみ出すタイプがいます。酒乱と言ってみんなから敬遠されます。どんなに普段はよくても、「彼は酒さえ飲まなければ」と言われます。
バレー界にも一昔前はこんな指導者だらけでした。
私は「バレー酒乱」と呼んでいました。
自然体バレーの初期の頃はこういった指導者への発信が多かったものです。
「公道で行えば、即逮捕されるような言動が
体育館という密室で行われている」
こんな言葉を発信されていたのを覚えています。
さて、時代は急激に進化し、体罰・暴言指導者は激減していきました。勿論
自然体バレーがその一翼を大きく担っていることは紛れもない事実です。
バレー指導者ならば、草野先生のブログは必ず目を通すことがあるはずのものだからです。発信力と影響力は、はかりしれないものがあります。
最近は、よりコーチングの専門的な中身へと入っていっています。アドラー心理学などはその顕著な一つです。
昨日のライン研修では、また、新たな気付きがありました。
今、各チームともに「卒業生を送る会」が開催されている時期です。私も親子のバレー卒業式と位置付けて、盛大にやっていました。
卒業生の発表では、親子そろって泣くシーンによく出会いました。
厳しくした親子ほど、泣きじゃくるシーンを見ました。
「あんなに泣いてくれて・・・。俺の厳しさは間違っていなかった」
ほとんどの指導者は、こういった視点でこのシーンをとらえるはずです。しかし、私が自然体バレーで学んだことは、多面的に見ることの大切さでした。
私がバレー指導をしてきたことで、一番大きかった財産は
プラスでもマイナスでも様々な事象に対して、必要なことは「理性」をもって対応すること、いらないのは「感情」ということでした。事象に対してクールに分析して解決方法を見つける習慣を学びました。
だから、卒業生が泣いている時も、
「俺の厳しさを受け入れてくれた」という発想よりも
「やっと解放される」「単に雰囲気に流されて泣いているだけではないか」と思っていました。
先ほどの「バレー酒乱」「自画自賛」タイプに共通していることは、
理性よりも感情が優先してしまうタイプでした。
今、教頭として、部下・保護者等、冷静さを失った人との対応に迫られるときがあります。そういう切羽詰まった場面で、感情が先に出てしまうと、一気に炎上して、取り返しのつかない事態になります。
「感情」よりも「理性」、クールに客観的な分析力
改めて、人の上に立つことの難しさを感じています。草野先生のよく言っていた「指導者は全てにおいて試されていると思へ」この言葉の意味をかみしめています。