第2574話・・・元監督・現教頭の視点(25)
2016年 01月 21日
前回のブログの「賞罰教育の弊害」を読ませていただきました。自分と向き合い、内面を表面することに、とてもセンスのよさを感じました。
若手教員のお便りの内容を見ると、その人の背景や教育的センスが感じられます。伸びる若手は、自分の内面や感じたことを何とか人に伝えようとしています。教室という空間で起きた様々な事例を自分なりに表現しようとします。反対に、挨拶的で形式的なお便りしか書けない人もいます。昨日のブログ記事、私も刺激になりました。ありがとうございました。
さて、今日の話題は、コートを去っていた指導者の方々へのメッセージです。生意気なことを言うかもしれませんが、去っていた人の力が今、必要だと痛切に感じているからです。
体罰調査、親からの突き上げ、管理職からの指導禁止命令など、自分の意志とは反対にコートを追われて去っていった指導者は、この三年ほどでどれだけたくさんいるかわかりません。そして、去って行った指導者で、指導に復帰したという話は、私の知る範囲では聞いたことがありません。
かつてカリスマと呼ばれ、強豪チームに育て上げた指導者の皆さんへ。命を懸けて長い時間かけて指導してきて、たくさん実績を残し、地区のバレー協会等の役職も歴任し、ずっと貢献していた人もたくさんいます。けど、あまりにも早い時代の急激な変化の渦に呑みこまれて、監督の座を追われていきました。
辛かったと思います。悔しかったと思います。自分の指導を理解してくれたかつての教え子たちや支えになってくれた保護者を思い出し、今の時代の不条理さに怒りを感じたはずです。
けど、もう、殴って、暴言はいて、ワンマンでへろへろになるまでしごいて、「俺が絶対だ」という指導法は、ダメなのです。その事実を勇気を持って受け入れてください。ここで勇気を出さなければ、もう一生、バレーを指導することはありません。死ぬまでもうバレーをできないんですよ。それで自分の一生を終えてよいのでしょうか?
コートを追われた指導者の方々の年代は40代後半から50代の方々がほとんどだと思います。皆さんが若い頃、バレー指導の現場では、ビンタという暴力の応酬の場でした。そんな指導が当たり前のように許されていました。
けど、これからバレーをしたいのなら、変わるしかないんです。
かつて、強豪チームを育て上げた方々は、学校でも部活でも中枢として生徒指導や学級経営を支えてくれました。すばらしい力をもった先生方でした。
けど、指導を追われ、バレー以外の部活を持たされ、内心、「俺の人生、こんなはずしゃなかった」という思いが脳裏を横切っているにちがいありません。
ちょうど、新年度の校内人事が始まる三学期です。校長に過去の過ちを謝罪し、二度と体罰はしないことを直談判してバレー部に戻らせてもらってはどうでしょうか? それでも信じてもらえないなら、「誓約書」でも何でも書いたりしたり、あるいは、同僚やかつての仲間にも伝えてみてください。きっと味方になってくれると思います。
バレーボールは、時によっては、敗者復活戦から勝ち上がって優勝することもあります。一度、失敗したからといって、復活できないなんておかしいと思います。
しかし、そのためには、
■自分のかつての指導法の謝罪の発信
■今後の決意を見える形で発信
するしかないと思います。
特に高い山をずっと登っていた指導者は、「プライド」というものが邪魔をすると思います。けど、ケチなプライドにこだわって、残りの教員生活を終えていいのでしょうか?かつての自分と決別するために、自然体バレーを一緒に学びましょう。草野先生は、器と懐の深い先生です。過去の自分と向き合い、変わろうとする人間を邪険にはしません。
ぜひ、敗者復活する勇気をもってください。
「辛く苦しい冬を乗り越えれば、もう一度、春は来ます」
あの光り輝くコートに自分の力で戻っきてください!