第2556話・・心の動揺を鎮める対策
2015年 12月 27日
「気持ちが動揺したときに
信じるものが消えてしまった」
人は困難に直面したときに信じるものを求める。その最たるものが宗教だ。信じるものは救われるといわれるのもうなずける。しかしスポーツの場合はどうなんだろう。アドラー心理学では「困難に打ち勝つ力」が真の勇気である、と教えているが、その勇気はどうすれば身につくのだろうか・・・そういう視点で愛媛と栃木の試合を観戦した。心の動揺の軌跡を追っかけてみていると「分岐点」が見えて来る。「1点のミス」がチーム全体の勢いを変えてしまう。まさに「一点が一転機」だ。
ミスを取り返そうと思えば思うほど金縛り状態に襲われる。そしてそこから負の連鎖が渦巻くのだ。昨日あれほど冷静であった選手たちも、もう冷静な判断はどっかへ吹っ飛んでしまった。やることなすことがうまくいかなくなる。こういうとき心の動揺は、どうすれば静まるのか・・・そういう課題を持って選手の心の軌跡、ベンチの心の軌跡、応援席の心の軌跡を自分の中でイメージしながら観戦した。結論的に言えば「信じるものを持つこと」だと私の中ではそういう結論だった。
では「信じるもの」とはなにか?それは「目の前のやるべきことに集中できること」「これをやれば道は開ける」「これが勝つための私のやるべきこと」それ以外は考えない状態に持っていくことが「信じるものを持つ」ことである。この課題は練習の中でしか培うことはできないとの結論もすでにあった。それが強化練習で言い続けていることだが所詮自分のチームではないのでそこまで徹底できないし時間もない。例えメンタルトレーニング的な話をしてもそれは付け刃(やいば)の域を脱し得ない。目の前で起きている心の動揺を鎮めるに至らないこともわかっている。だからこそ「大切なのは日々のプロセス」だということだ。では具体的にはどういうことか。それは精神的なものではない。具体的なプレーである。例えばサーブ。トスを上げた瞬間からルーティンになるような打ち方を日頃から徹底しておくこと。現在「自然体サーブ改革シリーズ」で提唱しているコントロールのルーティン、速さのルーティンなどなどである。ネット上にゴムを張るとか、コート上にコーンを置いて狙うとか、そういう方法では「心の動揺」の場面では全くの無力と化するからである。アタックも「相手の目の前の選手がこう動いたらこうする」というものを作戦的に持つこと。目の前に集中するということは、判断の選択肢を実行するということ。判断する訓練は練習の中でしか培われないのだ。やる気があるかないかとか、声が小さいとかが気になるレベルでは到底無理な話だけど。全国で戦うということはそういうことだ。