第2553話・・・元監督・現教頭の視点(19)
2015年 12月 23日
【許す】ということ
今日は草野先生の教えの「許す」ということをお話したいと思います。
よくスポーツの世界は、「さわやか」というイメージがあると思いますが、それとは反対です。ドロドロ・ネチネチ+妬み・嫉妬の渦巻くそれはすごい世界です。
私がチームを強くしようと決意し、行動を起こし始めた時は、
①既存のバレー界の常識にはとらわれない
②自然体バレーを自分の中心軸とする
③日本全国へのバレー指導の旅
とこんなことをやっていました。ですから、結果が伴い始めたところ、快く思わない人たちから妬みと嫉妬のパッシングの嵐を受けました。特に草野先生がブログでチームを紹介していただいてからは、それはそれはすごいことがありました。
「あんなバレーに勝たせるな」
ある時、こんな言葉を試合会場でかけられたこともありました。試合会場でD2ラインダンス、座禅ストレッチもしていると、周りから白い目で見られ、「あんなダンスみたいなことをして勝てるわけがない」と聞えるような声で揶揄されることもよくありました。
そういった既存の対抗勢力に対して、私もカッカして立ち向かっていた時代もありました。「あいつら、全部つぶしてやる」と、危ない考えに染まり出したこともありました。その時に妻から「バレーをしているときの目が異常だ」という指摘を受けました。「人でも殺しかねないような目」だともいわれました。
そんなときに、草野先生が「許す」ということを発信されました。
日本一になれなかった頃、相手チームが優勝したりすると、腹が立っている嫌な自分がいた・・・・けど、どこかで妬みと嫉妬から抜け出す生き方を探し出していたら、いつの間にかそんな感情はなくなった。そしたら、日本一が自然と手に入ってきた・・・・
こんな内容のことだと記憶しています。そして、相手を「許す」ということの大切さを教わりました。
監督をしていると、人間関係の醜い争いの場面に何度も巻き込まれます。私も「許さない」「やり返す」「報復」、そんな発想で生きていた時代もありました。けど、そういった人たちを「許す」という反対の考え方の大切さを草野先生から教えていただきました。
「弱い者ほど相手を許すことができない。許すというのは強さと優しさの証」
自然体バレーの人間学の根底には、こういった考えもあります。
自分が受けた裏切り、批判、または選手のミス、失敗、様々なマイナスを許すことができなくて、今、報復している・またはこれからしようと考えている指導者の皆さんがいたら、気づいてくださいという言葉を発信します。
許せないスタンスでバレー指導をしていると、いつか必ず自分がつぶれてしまいます。または、体罰等の負の連鎖に陥り、チームと自分が崩壊するという現実を突き付けられるのも時間の問題です。
年末を迎え、いろいろなことが脳裏を横切ると思います。けど、いろいろなことを許して、前に進んでください。
私も苦しんで悩んでいる時は出口が見つかりませんでした。けど、時間が経過すると苦しみや悩みに意味があったことが分かります。そのことが「許す」ということなのかもしれません。
教頭という職にキャリアアップしても「許す」ということの大切さを肝に銘じて自分への戒めとしています。
去年でしたか?ドラマで「倍返し」みたいな言葉が流行ったときがありました。全然いい言葉じゃないなあと思いました。嫌な発想です。