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by kusanokenji
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第2449話・・・なぜ勉強するの?


なぜ勉強するの?

これは子供へではなく
自分への問いかけです

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歴史をひもどいてみると
成功した人はみな
途中で道を変えていない。(松下幸之助)


上の文章で
「目標に向かう時は、何かを犠牲にしなければいけないときがあります」って書いてあるけれども、ここでいう犠牲というのは、実は若い時にお金を出してでも経験すべきことだと
今更ながら思います。
つまり、ここでいうところの「犠牲」は、多くの成功者に共通する途中で道を変えないことにつながるということです。

さて自分を考えるとなぜ、今でもバレーボールを探求しているのか?  
 
 それは単に趣味でバレーボールを楽しんでいることとは全く違う次元だからです。ですから過去の実績とか肩書きとかは全く無縁です。そして、自分が楽しんでいる間は、それ以上でもそれ以下でもない。なぜなら、その程度の情熱では、世の中にない新しいものは何も生まれないと思っているからです。これは若い時の「やり遂げるまでは徹夜もいとわない」仕事での経験が大きい影響を与えてくれた結果だと思うのですが、楽しいと思うことと、「生み出す」ということは違う。自分は、バレーボールが特別に生き甲斐と感じたこともないし、バレーボールが人生でもないし、バレーボール命でもない。バレーボールを通じて人と関わっている。ただこれだけですね。これですね。人間、死んだら、与えたものしか残らないですからね。自分で必死こいて集めたものとか貯めたものはすぐに消える。惜しみなく与えたものしか残らない。その与えたものも「喜んでもらえたものしか残らない」ってことです。だから喜んでもらえるものはなにか?・・・それを精一杯研究する。人に喜んでもらえるものだったら別にバレーボールでなくてもいい。そう考えると監督とか、コーチとか立場は関係なくなる。教師でなくともいい。無職になってもできるということです。ですから「立場がなくても同じように歩ける道」その道を探すのには多少の犠牲がいるということです。だから退職後を「第2の人生」とは言わない。第1も、第2もないですからね。そういうふうに考えられてくるのです。ですから定年後の第2の人生なんて僕には考えられない言葉でもあるわけです。

そうすると、与えられる人がこの世にいるってことに感謝できるようになるのですね。「与えられる人がいる」ってことは「与えてくれる人がいる」のではない。与えてくれる人を求めている間はダメです。自分みたいに甘い人間はすぐ人のせいにして努力しなくなるからです。僕みたいな甘い人間の作ったものを「もらってくれる人がいる」・・・・これです。これ。これがありがたい!ああ、僕もまだまだ世の中とつながって生きている、ありがたいな〜・・・そんな感じになる時があるんですね。これを感謝って言うんでしょうね。

本当の勉強というのは、
勉強が必要に迫られてないときにこそ
現れてくるものだと気がついたのです。

追伸・・・
下記の電子本ご希望の方は申し出てください。PDFファイル(5メガ)をメールで送ります。携帯メールは容量不足ですので送れません。
この本は10年前に販売されたものですが、すぐ売り切れで、現在は絶版。再編集してコンパクトにまとめたものです。
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by kusanokenji | 2015-05-03 11:20 | ■連載“日々努力”