情熱と熱意がほとばしる若き教師には魅力がある
しかし、生徒はもっと若い。若いというより幼い。
幼い心のことを「稚心(ちしん)」という。
もし、幼いもの同士がぶつかったらどうなるか、
そこには衝突・摩擦・誤解・・・当然発生する。
それらを解決するには
まずは「稚心を去る」指導が求められる。
8年ほど前、兵庫県の山の中でこんなことがあった。
バレー塾を終えて、宿舎で参加の指導者と懇親会をしているところに、部活を終えて夜から参加した教師がいた。開口一番、「今日部活で怒って『俺は帰る』と言ったら、生徒が『帰らないで下さい』と追いかけてきて僕の服をつかんで帰らないように引き止めてくれた。うれしかったです。これで自分もようやく先輩に追いつけたと思いました。先輩のように、生徒に我がままを言えるのが目標だったんです」と得意げに話す27歳の教師がいた。教師5年目。バレーボール部顧問。これまではなかなか選手とうまくいかない。練習試合等に行くと目の前でビシビシばしばしやっている他校の先輩教師の指導に憧れていた。いつか自分もあのようになりたいと思っていた。それが今日ようやくできた!と勇んで初対面の僕に挨拶がてらに自慢?するのだ。
「君は何を勘違いしているんだ!」
と瞬殺したことはいうまでもない。「そういうことが立派な指導者ではないんだぞ、何を勘違いしているんだ」と一喝した後は、ゆっくりと、生徒との向き合い方などを夜遅くまで語りあった事を覚えている。彼は「あ〜、よかった、あやういところだった」とその場では言ってくれたがその後会ってない。その後、彼はどうなったのか、その場に同席していたN先生、知っていたら教えて!
過去に実績のある年配の指導者が、自分の武勇伝を若い指導者に語るのは珍しい事ではない。そしてそれをそのまま真似したがる若き教師、若き指導者がいる事も事実だ。その結果、生徒とも保護者ともうまくいかないことは珍しい事ではない。そういうことを未然に防いでやらないと、いつまで経っても生徒は苦しみから解放されないし、指導者としての成長もない。先輩教師は、若き教師の「情熱・熱意」をいい方向、正しい方向に導いて欲しいものである。
子は親の鏡という言葉がある。
それと同じように、選手は指導者の鏡 とも言える。
それは子どもの笑顔に現れるのではないだろうか。
この子ども達のあふれる笑顔は
指導者と保護者の姿そのものです。
君がいるだけで
今日もがんばれる
君の笑顔見て
明日もまた
がんばれる