チームの数だけ監督がおり
その何倍も指導者がいるが
どの方もプロではない・・
私が監督のときは、仕事は午前中で午後から練習だった。
「あなたたちの主たる職務はバレーです。しかし、引退しても仕事に困らないように午前中は仕事をしてください」とはっきり、会社から職務命令を受けていた。それなりのプレッシャーもあったが、いい時代にバレーボールさせてもらったという感謝の念は、年々歳々大きくなる。いわゆる私はプロの監督であり、選手はプロのバレー選手であったのだ。求められる結果は成績ばかりではない。それにふさわしい人間性も求められているということである。「会社はあなたたちにバレーボールを仕事としてやってもらっています」という信頼に応えることが最大の任務である。当然、入部してくる選手は小中高大と全国大会経験者がほとんどである。それが当たり前の世界だった。だからこそ、根無し草のバレー馬鹿にならないように「心はアマチュアであれ!」「バレー選手である前に社会人であれ、社員であれ」の教育には特に力をいれていた。
監督をやめて11年。全国の小中学校のチームや初心者の選手とのお付き合いが多くなった。これまでのお付き合いが一変したのである。昔のバレー関係者とは一切会わないようにした。会えば昔話に花が咲き、前に進めなくなると思ったからである。当然全国大会に出場するチームは少ない。当然プロの監督はいない。しかし、皆、個性があり、人に言えない悩みと付き合いながら努力されている姿は同じである。
最近、確かな事と思う事がある。それは
「苦労した人間ほど、
歳をとってから幸せになる」
以前から思っていた事ではあるが自分も歳をとるにしたがって確信に近くなってきたのだ。心は歳をとらない・・・そうだと思えるようになった。世の中には若くても心がヨレヨレの人もいる。いわゆる「若朽(じゃっきゅう)」である。若くして成功した人の中には過去の栄光が邪魔して前に進めない元スターの惨めな転落人生のニュースをよく見かける。一般の人でも珍しくないようだ。定年を迎えても、会社時代や教師時代の癖が抜けずに、自分から動けずもがいている人もいるようだ。逆に、スパッと切り替えて、新しい人生を生き生きと生きている先輩方や後輩もいる。プライドを足の裏につけて歩ける人だ。逆にプライドを鼻の上に置いている人は嫌われている。嫌われている事さえ無視して、厚顔無知の姿そのままに、堂々と肩で風を切って歩いている人もいる(笑)。これには苦笑するしかないが、こういう人とは静かに「さよなら」する他はない(笑)。人生いろいろ、人もいろいろだ。
これらと向き合って11年。これからも生きてゆかなければならない。そこでたどりついたのが「生きることで大切なことは、相手に勝つ事ではない」と芯から思えるに至ったのである。人より勉強ができる、人より速く走れる、人より高く跳べる、人より強いスパイクが打てる、人よりボールを拾える、それはそれで素晴らしい事であることに間違いないが、「だからどうしたの?」って感じで受け止めている。だから、スポーツで「勝たなければ意味がない」というのは自分にはとても言えなかった。
汗を流して働ける喜び、手足を動かせることのありがたさ、仲間がいる事のありがたさ、一緒に笑える事のよろこび、ビールが飲める、ご飯が美味しい、今日もやることがる・・・こんな日常生活のたわいないことが、最高の「し・あ・わ・せ」と思えるのである。そうなんです。生きるという事は日常生活の積み重ねであって、人に勝つための積み重ねではないのです。人になど勝たなくても良いのです。争う相手がいないのが幸せなのです。争って奪ったものは必ず消えてなくなります。死んで残るものは「与えたもの」だけなのです。「倒された竹の枝は起き上がって伸びてゆくが、倒した雪は消えてなくなる」のです。これらは、考えるまでもなく、過去の地位とか肩書きとか実績に関係のない事ばかりなので、考え方次第で誰にでもできるという事なのです。大事なのは「考え方」、そして行動。昨日のブログ「九州の母娘の話」など、聞いていて「なるほど」とうなずくことばかり。元気が出てくる。目先の損得勘定ではなく、人としての本質的なアドバイスができる親なのだ。子どものスポーツには親の協力が不可欠だが、せめて「損得勘定抜き」で我が子と向き合ってもらいたいものだ。