第2271話・・・負ける経験
2014年 06月 04日
武道では「参りました」
将棋・囲碁では「負けました」
潔く負けを認め、相手を敬う。
そしてそれは、次の「成長への学びの場」となる。
これが「稽古」「鍛錬」の姿。
残念ながらバレーボールの世界ではそうはいかないようだ(苦笑)。
原因は、そう考えられる指導者や大人が少ないから・・・。
大人になってから、なかなか素直に負けを認める事は少ない。
反対に「言い訳」はあちらこちらにゴロゴロ。
負けを素直に認められない大人が子どもを指導したらどうなるか?
そんな大人は残念ながら勝った経験も少ないのではないかな?
「負けて学ぶ」は人生を幸せにしてくれることなのに
「負ける奴はバカだ」「お前は豚だ」
「負ける奴はダメ人間」と教えてしまったらそれこそ大変だ。
そういえば口の悪い監督から「お前はブタだから下手だ」「このブタ!」
と練習や試合中にののしられる子どもが、家でつぶやいた。
「ボクはブタではない・・・」
それを聞いた家族がショックを受けた。
「こんな指導を子どもに受けさせていいものか」と・・・。
死んで残るのは「奪ったもの」ではなく、「与えたもの」なのに
奪う事、もらうことに執着していては、心の平安、幸せはこない。
「勝って見返したい」
「勝って認めさせたい」
「勝って注目されたい」
このような動機では不幸になるんだよ、とある本に書いてあった。
なぜなら、そこに行き着いたとき
心の不安や幸せがないことに気がつくからだ。
「バカは死ななきゃ治らない」と昔から言われるのはこの辺りかもしれない。
歪んだ勝利への「執念」と「怨念」に心を奪われるな。
スポーツはそんなものではない。
部活の目的はそこにはない。
思春期のときに体験した
みんなで負けた経験を人生に生かそう!
そういう指導を指導者には望みたい。
もうすぐ、総体!
「負ける経験ができてよかったね」
そんな
ひろい心
大きな心で
子どもたちを
見守ってあげれる
大人でありたい。