第2261話・・・後輩の訃報に想う
2014年 05月 10日
もう、40年ほど会っていないが、一緒にバレーした仲間の訃報。
まだ若いのに、病に倒れたとのこと。
どんな想いで闘病していたのだろうと思うと胸が・・・
ただただご冥福をお祈りするだけです。合掌!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子育て中の親は
「子供のためだったら艱難辛苦(かんなんしんく)もろともせず!」
の気概に満ちあふれる。若いから無理もきく。体力も気力も旺盛。
人生の中で一番夢中で頑張れる時期ではなかろうか。
子供のためになることはどんなことでもしてあげたい、と思えるもの。
我が子に対する親の思いは、いつの世も同じだ。
今の若い親たちの奮闘ぶりにも頭の下がる想いだ。
当然、現在60歳以上の方々もその道を通ってきたものだ。
しかし、今は0歳児から保育所に預けて夫婦共働きが結構いるようだが
昔はそうではなかった。育児休暇もままならず、せっかく入社したいい会社も
やめざるを得ず、自分のやりたいことを犠牲にするのがまだまだ普通の時代。
キャリアウーマンと言う言葉がようやく世の中に出はじめたころ。
「子のために・・・!」と、それこそ身を粉にして働いてきた親が多い。
理由は時代背景に負う所が多い。今とは随分と時代背景が違うのだ。
世の中全体が貧乏まっただ中。働け、働け、働けばなんとかなるの時代。
NHK深夜番組で”さだまさし”の若い頃のドラマを一週間放送していたので観た。
同じ時代背景なので余計に心に響いた。お陰で毎晩泣いた。
子育てが終わった親は
30〜40年前は「自分の好きな仕事」より「食うために働く時代」。それを経験してきた人が親になり、子供にはできるだけのことをしてあげたい、と思う親心で頑張ってきた人が多い。そして子どもだけでなく結婚したらせめてボーナスの時だけでも薄給の中から、ここまで育ててくれた両方の親に送金するのが当たり前の時代。親孝行は考えても親に甘えるなんて少なかったように思う。旅行など自分たちで楽しむ方法も知らないで、「節約、コツコツ、努力」を先輩が教えてくれた時代。多かれ少なかれ60歳以上の多くの方は経験されたに違いない。「神田川♪」に癒された時代だ。
しかし時代は変わった。
世の中は少子高齢化になり高齢者の居場所が少なくなってきた。
高齢者ほど艱難辛苦に耐え忍んで子を育てて生き抜いてきた人々なのに・・・。
定年を迎えた人々は何を思いながら生きているんだろう。
「どんな艱難辛苦もろともせず!」の気概で降り掛かる困難に立ち向かってきた
あの若き日の燃える情熱はどこにあるのだろうか?
灰になるまで燃え尽くした人生でありたいものだ。
指導中の指導者は
子育て中の親に似ているなと感じている。
「チームのためだったらどんな苦労もいとわない!」
命がけで頑張ってきた指導者はごまんといる。
選手のため、チームのために必死になっている指導者を見ると
ついついいろんなことを考えてしまう。
指導を終えた指導者は
第一線を退いた指導者たちはどんな思いで日々を過ごしているのだろうか?
定年後の人も同じだ。
あれだけ忙しくされた人が、突然仕事がなくなったらどうされているんだろう?
現役中の無理がたたって、身も心もボロボロではないか? それとも悠々自適?
歳を重ねるほど病との闘いが多くなるのが人生。
仏教でいうところの「生老病死」は人間の四苦。
健康でバリバリの現役中は「四苦」も気にならないが
現役を退くと「四苦」が身近に感じるものだ。
ただ残念なことは、現役の人は現役を退いた後のことを考える余裕がないということだ。かくして「四苦」が身近に感じた時にどう対応できるか?知る由もない。
知るための唯一の方法は、バリバリな人の話を聞くのではない。
落ちぶれた人の話を聞くことだ。理由は、「自分は必要とされていない」という境遇の中でもがいてこそ見えるものがあるような気がするからだ。過去に栄光を味わった人ほど、若くして成功を収めた人ほどその落差は大きい。でも、その中でも自分へ「一燈を灯す」ことのできる人もいる筈だ。過去を語るのでなく、『今を灯す知恵』が知りたい。
歴史を刻み、歴史を築いた人たちの“過去”を知る機会は多い。
しかし“今”を知る機会が少ない。
大切なのは元気バリバリの過去ではない。
悩み苦しんでいる今をどう生きるか・・・そこを知りたいのだ。
なぜなら、これからもっともっと
“今”に不安を感じ、“今”を悩む時代だからである。
後輩の訃報を聞き、改めて自分自身の今後を考えたとき
“過去”を発信するのでなく
“今”を発信できるように頑張りたいと思った。
後輩の死。
まだやりたいことがあったろうに・・・・。
心よりご冥福をお祈りします。
合掌
「親思う心にまさる親心 今日のおとづれ何ときくらん」