第2231話・・・幕が下りた
2014年 03月 21日
お世話になった松下電池女子バレーボール部が廃部になり、過日、解散式が行われた。 当日は沖縄出張のため出席できず、ビデオメッセージ(会場で放映)での参加になった。
人生の間には
何回もの別れと遭遇する。
悲しみの別れ、感謝の別れ・・・・・・・・・
大きな「悲しみの別れ」を体験した私にとって、
今回の別れは「感謝の別れ」に属する。
1970年代。高度経済成長時代の真只中。全国で、雨後の竹の子のようにできた職場同好会バレー部。その頂点には、日本リーグで活躍する企業スポーツがあった。しかし、栄光盛衰は古代から繰り返されるが如く、時代とともにバブル崩壊から企業スポーツの斜陽時代に突入していった。有名チームの相次ぐ廃部でスポーツ界に暗雲が立ち込めたのが1990年代。そんな時代背景の中で、組合の同好会組織から会社のシンボルスポーツとしての活動への転換を図ったのが松下電池女子バレーボール部。会社にとっても大英断であり、バレー部にとっても歴史的な大転換である。しかも、当時としては既存の企業スポーツ部にも見られない画期的な組織づくりにも着手した。多くの企業スポーツ部が会社の福利厚生の一環としての位置づけが主であったが、当部は人事組織の単位である「課」として「人事部・女子バレー事務局」も発足していただいた。同時に、午後からの練習、合宿所建設、体育館建設、後援会組織の発足など、後ろを振り返れば過去にない出来事が次々に実現していき、周囲や世間をアッと驚かせていたのを思い出す。同時に選手の意識改革も次々に行わさせていただいた。当然これだけの改革を実施するのだから反発もやっかみも出てくるのが世の常。苦労は大きいけれど、三代に渡る歴代の社長、二代に渡る組合委員長の強力なる後押しがあればこその話。勝つことを宿命づけられた立場になったが、それでも頑として手段を選ばない勝利至上主義を排除し続けた。目先の勝利よりも、松下の社員としてふさわしい人間づくりこそ会社のシンボルスポーツとしての存在価値であるとの持論からである。我々スタッフも選手も、日本一にふさわしい人間として認められてこそ、価値ある活動の証であると思って仕事とバレーボール以外に、日夜「人間学」に励んだ。それこそ「勝つための資格」だと信じて一生懸命励んだ日々。今思えば、ありがたい日々である。その中でも心を砕いたのがバレー部と職場、選手と従業員のみなさんとの関係づくり。「ハリネズミの話」に出てくる「いい距離」を保つためには一人一人が可愛がられる存在になるしか道はない。そのために必要なのが個々の「人間的成長」・・・・・「電池バレーは人間的成長を目的とし併せて日本一を目標とする!」を標榜しながら修養の11年間。本当にありがたい日々を送らせていただいた。関係したすべての人に感謝である。この厳しくも
懐かしい修養の日々の思い出の一部はここ http://youtu.be/Xm_BV6OQJkk
追求したのは「スポーツと人間学」
もう、見ることはないであろう「合宿所の表札」と「旧体育館」。
この二つは、私たちの心に刻まれた宝物である。
<解散式の挨拶に代えて>
~健清庵~
三菱時代、松下時代・・・全選手の記録が詰まっている場所です。
(みなさんが帰ってくる場所です)


場所は、自然体バレーの聖地(本拠地)と言われている
橋本市(和歌山県)にあります。
岸田整骨院の全面協力をいただいて
2010年10月にできました。
いつの日か来訪を・・・
(看板の板は、沖縄の西銘さん寄贈品)
人生の間には
何回もの別れと遭遇する。
悲しみの別れ、感謝の別れ・・・・・・・・・
大きな「悲しみの別れ」を体験した私にとって、
今回の別れは「感謝の別れ」に属する。
1970年代。高度経済成長時代の真只中。全国で、雨後の竹の子のようにできた職場同好会バレー部。その頂点には、日本リーグで活躍する企業スポーツがあった。しかし、栄光盛衰は古代から繰り返されるが如く、時代とともにバブル崩壊から企業スポーツの斜陽時代に突入していった。有名チームの相次ぐ廃部でスポーツ界に暗雲が立ち込めたのが1990年代。そんな時代背景の中で、組合の同好会組織から会社のシンボルスポーツとしての活動への転換を図ったのが松下電池女子バレーボール部。会社にとっても大英断であり、バレー部にとっても歴史的な大転換である。しかも、当時としては既存の企業スポーツ部にも見られない画期的な組織づくりにも着手した。多くの企業スポーツ部が会社の福利厚生の一環としての位置づけが主であったが、当部は人事組織の単位である「課」として「人事部・女子バレー事務局」も発足していただいた。同時に、午後からの練習、合宿所建設、体育館建設、後援会組織の発足など、後ろを振り返れば過去にない出来事が次々に実現していき、周囲や世間をアッと驚かせていたのを思い出す。同時に選手の意識改革も次々に行わさせていただいた。当然これだけの改革を実施するのだから反発もやっかみも出てくるのが世の常。苦労は大きいけれど、三代に渡る歴代の社長、二代に渡る組合委員長の強力なる後押しがあればこその話。勝つことを宿命づけられた立場になったが、それでも頑として手段を選ばない勝利至上主義を排除し続けた。目先の勝利よりも、松下の社員としてふさわしい人間づくりこそ会社のシンボルスポーツとしての存在価値であるとの持論からである。我々スタッフも選手も、日本一にふさわしい人間として認められてこそ、価値ある活動の証であると思って仕事とバレーボール以外に、日夜「人間学」に励んだ。それこそ「勝つための資格」だと信じて一生懸命励んだ日々。今思えば、ありがたい日々である。その中でも心を砕いたのがバレー部と職場、選手と従業員のみなさんとの関係づくり。「ハリネズミの話」に出てくる「いい距離」を保つためには一人一人が可愛がられる存在になるしか道はない。そのために必要なのが個々の「人間的成長」・・・・・「電池バレーは人間的成長を目的とし併せて日本一を目標とする!」を標榜しながら修養の11年間。本当にありがたい日々を送らせていただいた。関係したすべての人に感謝である。この厳しくも
懐かしい修養の日々の思い出の一部はここ http://youtu.be/Xm_BV6OQJkk
追求したのは「スポーツと人間学」
もう、見ることはないであろう「合宿所の表札」と「旧体育館」。
この二つは、私たちの心に刻まれた宝物である。
<解散式の挨拶に代えて>
~健清庵~
三菱時代、松下時代・・・全選手の記録が詰まっている場所です。
(みなさんが帰ってくる場所です)


場所は、自然体バレーの聖地(本拠地)と言われている
橋本市(和歌山県)にあります。
岸田整骨院の全面協力をいただいて
2010年10月にできました。
いつの日か来訪を・・・
(看板の板は、沖縄の西銘さん寄贈品)
by kusanokenji
| 2014-03-21 11:00
| ■連載“日々努力”