第2145話・・・目的の作り方
2013年 09月 30日
達成できない目的をもとう!
なぜならば死ぬまで目的を追求できるから・・・。
昨日までの自然体公認講師養成講習会。
最後にそんな話をした。
会社に勤めているときは「我が会社」のことばかり考え
チームの監督をしているときは「我がチーム」のことばかり考え
親の立場の時は「我が子」のことばかりを考える
それは悪いことではないし、必要なことであるけれども
しかし、
いづれは会社を去るときが来ますよ
いづれはチームから離れるときがきますよ
いづれは子供は巣立っていきますよ
そのとき、あなたはどうするんですか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この練習の目的は?」と考えることは
「生きる目的」を考えることに通じますよ
僕の人生の目的は「人間的成長」。
バレーの監督時も、チームの基本理念として
「電池バレーは人間的成長を目的としています。
併せて日本一を目標とします」を掲げた。今もその延長線にいるだけである。
だから第1の人生も第2の人生もない。ず~と同じ線上にいる。
だから死ぬまで完成がない。完成がないからず~と未完成のまま。
求めても求めても未完成だから、死ぬまで勉強するしかない。自分を磨くしかない。
そのために進化し続けるしかない。それが日常生活。
会社を辞めても
監督を辞めても
子どもが巣立っても
生きるスタイルは同じである。
「バレーはやり切った!」と言う中学生の話を聞くと「エッ!」と思う。
最近は小学生も「バレーはやり切った!」と言うではないか。
これでいいの?
これでその子の人生は大丈夫なの?と心配してしまう。
僕なんか、今でもやり切ってないからこうして、現役時代の何百倍も
勉強しているのに・・・・と思ってしまう。
30年も監督やっても不完全燃焼だからこそ、もっとやりたい意欲にかられる。
定年まで勤め切るのも素晴らしいこと。
でも、「やり切った!」という充実感は、次の行動を鈍らせる。
これが怖いから僕は早めに会社を辞めた。
次のことをやりたいエネルギーがあるときに行動しないと
やり切った後は隠居しか待っていない。
そういう生活は僕には耐えられない。
死ぬまで何かに悩みもがきながら生きていたいからだ。
そう考えると、小学生や中学生で「バレーはやり切った」という達成感は
早すぎではないかと心配するのである。
こんな話もある。
敬老の日、90歳のおばあちゃんにインタビューしていた。
何十年も前の話だ。
「おばあちゃんの悩みはなんですか?」
「悩みは老後のことです」
「えっ、・・・・」
90歳は老後でないの?っと爆笑になった。