第2111話・・・発達障害
2013年 07月 30日
そこの指導者が深刻な顔して相談してきた。
「この中に二人発達障害の子がいるんです」
しばらく練習をみながら
「でも、どの子か僕には見分けられないよ」と言った。
それくらい普通に動いていた。
「はい、バレーの時はこうしてやってくれるんですが、実は教室では違うらしいんです。そのことで親も悩んでいます。それで、学校でみんなと一緒にできるようになるまでバレーを休ませた方がいいのでという話もあったりするのですがどうしたらいいのでしょうか?」という相談だった。
「何を言ってるの、彼らがこうしてみんなと一緒にバレーできるっていうことそのものが素晴らしいと僕は思うよ。普通はなかなか集団の中に入っていけないもんだよ。2年前もあるチームであったんだけど、一人の発達障害の少年が自然体バレー塾に参加していた。よほど楽しかったんだろうね。途中からみんなの輪の中でやってる姿をみて、そのこの指導者と保護者が信じられない表情しながら喜んでいたよ。今、彼にとってのバレーボールは、みんなとなつがっていくための言葉みたいなものだよ。
バレーボールすることで自分の存在場所が見つけられている。
今はどういうわけか、ちょっと人と違うと病名がつけられているよな気がしないでもない。でも彼たちが夢中になれるのがゲームなんかよりもこのバレーボールとその仲間。これがなくなったらどうなるの?。
彼たちにとって学校ってどういう存在なんだろうね。
おそらく楽しいよりも辛いのかもしれなしい、学校というところに魅力がまだ感じられないのかもしれない。そこを理解して上げるのが先決じゃないのかな。みんなに迷惑かけずに、みんなと仲良くやって欲しい。みんなに遅れないで欲しいと大人目線では思うかもしれないが、それはあくまでも大人目線。彼が悪いのではないと思うよ。」・・・そんな話をしながら目の前で無心にバレーボールに取り組んでいる彼たちを見る。しかし、どの子が発達障害をもっているのか全然わからない。これは素晴らしい!と思った。「これをなくしたらいけないよ」と言った。
その指導者も、「そうですか、このまま続けてもいいのですね」と自分に言い聞かせるように見つめていた。
そこで、ノーベル賞作家の大江健三郎さんの息子さんの話をした。以前、テレビで見た話だが今は作曲家で活躍している長男の光さんの話。光さんは知的障害で小学校の特殊学級に入り、そこでいろいろ親子で苦労した話。光さんには音楽があった。音に敏感なので最初は教室では両手で耳をふさいでいたとか。詳しい話は忘れてしまったが、僕のこれまでの見聞きしてきた情報経験の中では、不登校や障害を抱えた児童には、何か特別な才能があるよ、ってことも話した。その「見えない才能」を信じて伸ばしてあげるのが指導者の役目かもしれないね、頑張れよ!いいことしていると思うよ、と彼女には話した。
本当に、あなたのやっていることはとても素晴らしい事だよ!