第1888話・・・見えないものを見る
2012年 08月 15日
動かないものが見えない
人の心は見えない
見えないから、動いているかどうかもわからない
本当は心が一番動いているのに・・・。
人の心が見えないほど
人の心は弱まって
人の心は狂っている
親が子を叩く
叩いている姿は、動いている姿だから誰にでも見える
「なんてことをするんだ」と言うだろう
親の心など見ないで言うのが普通だ
しかし、泣きながら子をぶつ親の姿を見たらどうだろ?
我が子を思う親の心が見えるだろう
この「泣きながら」というところが大事なんだ
「泣きながら」の中に、動くものを動かす力がある
そこを伝えることがある意味では大事になってくる
動いているものの奥に、動かす力がある
そこを見ることを続けていると
いつか、動かす力が見えてくる
それが心を知るということだろう
人は動くものしか見えないから本質を見逃す
自然体バレーは怒らない、絞らない、叩かない
だから真剣さがない、物足りない、強くならないと見えるらしい
本当にそうだろうか?
見えるものしか見ないと、大変な損をすることになる
見た目の厳しさしか見えないとどうなるか
見た目の頑張りしか見えないとどうなるか
見えるものしか見れない心の乏しさを知ることが大事になる
そうすれば
弱いチームを責めることもなし
ダメな選手を責めることもないだろうに・・・。