第1603話・・・”S”をとる
2011年 03月 28日
第1602話の続き・・・・
「育てる」をローマ字で書くと「SODATERU」
そこから「S」をとると
「ODATERU(おだてる)」
つまり
肉体的、精神的苦痛を与えない指導のこと。
突き落として「そこから這い上がって来い!」と反対のやり方のこと。
しかし、「おだてると豚も木を登る」のおだてるではない。
「わかって欲しいこと」をわかってあげる心だと思えばいい。
今回の高校野球の選手宣誓の中で生まれた名言(自分の中では)
「人は人の支えで困難に立ち向かうことができる」は素晴らしかった。
人は誰でも「自分のことをわかってほしい」という願望を持っている。
相手のことをわかる以上に、まずは自分のことがわかって欲しいのだ。
それが「支えてもらっている」ことにつながる。
特に年齢が若いほどその傾向は強い。
それなのに
上司は部下に
先生は生徒に
指導者は選手に
なぜか、
上の者ほど下の者に「自分の考えを伝えること」に汲々している面がある。
それはそれで結構ではあるが
順番を逆にするだけで、案外こじれた問題でも氷解することがある。
「相手のことをわかってあげる」ことを先にする。
これで「S(サド)」的指導法からおさらばだ(笑)
「育てる」をローマ字で書くと「SODATERU」
そこから「S」をとると
「ODATERU(おだてる)」
つまり
肉体的、精神的苦痛を与えない指導のこと。
突き落として「そこから這い上がって来い!」と反対のやり方のこと。
しかし、「おだてると豚も木を登る」のおだてるではない。
「わかって欲しいこと」をわかってあげる心だと思えばいい。
今回の高校野球の選手宣誓の中で生まれた名言(自分の中では)
「人は人の支えで困難に立ち向かうことができる」は素晴らしかった。
人は誰でも「自分のことをわかってほしい」という願望を持っている。
相手のことをわかる以上に、まずは自分のことがわかって欲しいのだ。
それが「支えてもらっている」ことにつながる。
特に年齢が若いほどその傾向は強い。
それなのに
上司は部下に
先生は生徒に
指導者は選手に
なぜか、
上の者ほど下の者に「自分の考えを伝えること」に汲々している面がある。
それはそれで結構ではあるが
順番を逆にするだけで、案外こじれた問題でも氷解することがある。
「相手のことをわかってあげる」ことを先にする。
これで「S(サド)」的指導法からおさらばだ(笑)
by kusanokenji
| 2011-03-28 08:48
| ■連載“日々努力”