第1529話・・・努力しても報われない?
2010年 12月 02日
「うん、そうやな、もっと努力することやな」
「でも、これ以上・・・」
「努力してきたからここまで来たんと違うの?
努力してなかったらどうなっていると思う?」
「・・・・・」
自分の思う結果が出なかったとき、人は落胆する。
そして、これまでやってきたことを疑う。
逆にいい結果が出たら喜ぶ。
そして「これまでやってきたことは正しかった」と言う。
こんことを聞くたびに「なんて短絡的思考だ!」と思う。
努力を継続することが「生きること」だとどうして思えないのか。
毎日、小さな努力をする習慣をつける。
習慣になれば努力と思っていたことが努力でなくなる。
「努力」の代償として「結果」を欲しがるから「努力」が別物になる。
ただ、「努力できること」に感謝できること。
大人になって挫折すれば誰も助けてくれない。
挫折しても生きていくのが人生。
ならば、人が助けてくれなければ自分で生きるしかない。
生きていくには「小さな努力」が必要だ。
しかし「努力しなければいけない」とわかっていてもできない人もいる。
それは「努力」することを体験していないからだ。
だから「努力」することを子供の時に身につけるのだ。
バレーボールを通してそいういうことを子供に教えられる指導者を
育成したい。それが「自然体公認指導者」の目的だ。
「勝たせてあげたい」と思う前にやるべきことがここにある。
試合に勝った、負けたで一喜一憂しているのは自分自身の欲の範疇。