第1431話・・・「祝」の使い方
2010年 07月 14日
「祝・優勝」、「祝・全国大会出場」などの垂れ幕をよくみるが
違和感を感じませんか。僕はいつも感じるのです。
あれ? 自分のことを自分で祝福するの?
自分のことを自分で祝福するのは勿論かまわないけど
それを世間へアピールするのはいかがなものか?
「あなたたちも祝福してくれ!」と
世間に言ってるようなもの。どうもふに落ちない。
我々の常識の中には
自分たちが主催の時は、周囲への「感謝」を前面に出す。
昔松下電池では、仕事以外に、趣味の世界とかで頑張った人間を集めて
それこそ自分たちだけの「自祝パーティー」というものが開催されていたこともあった。
つくづくいい時代やったなーと感じ入る今日この頃。
発想がいいではないか。従業員のやる気が高まるのは必然の成り行きである。
昔、松下電器の創立○十周年記念パーティーが行われた。
会場の玄関には「祝・松下電器創立○十周年」と書かれていた。
会場では弁当やお酒も配られ、それを食べながら社主(松下幸之助)の
登壇を待っていた。みな、「今日はどんな挨拶をされるんだろう」と浮き浮き
しながら待っていた。そこに社主が登壇された。
いきなり怒りの剣幕で
「玄関の垂れ幕を作ったのは誰だ!」と一喝された。
祝辞をいただけると思った参列者は一瞬体が硬直した。続けて
「我が社は誰のお陰でここまで成長できたのや!
それは我が社の製品を買っていただいた消費者のみなさんのお陰ではないのか。
それなのに、「祝」とは何事や。自分の力でここまで大きくなったと思っているのか。
「感謝」と書くのが筋だろう。だから・・・・・」 と、祝辞のはずが強烈な怒りの言葉に
なったのである。会場のみなさんはシュンとして聞きながら、自分たちの思慮の浅さを
反省し、「物事は深く考えないといけない」とあらためて思ったそうである。
深い話である。
今朝の新聞に パナソニックパンサーズ(男子バレーボールチーム)の三冠達成
パーティーの記事が載っていた。
写っている写真を見ると、看板には「祝」ではなく、「感謝の会」となっていた。
さすがと思ったと同時にホッとした。
大事なのは、何をやったかではなく、どんな思いをこめたかである。