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第1071話・・・ハイハイ授業

先日の湖西の講義で「授業」という本を紹介させてもらった。
明治生まれの教師の本で、とにかく素晴しい。そこの1節を紹介しよう。
『教師側からだけの、つめたい一方的伝達授業は質が低い。子供の格付けし、子供の可能性を封鎖し、子供に疎外感を持たせ、子供を分裂させてしまう教育である。そのよい例が「ハイハイ授業」である』・・・
  なんだか、まるで、根性仕込みのバレーと一緒ですね!
 問題は授業の仕方にある。「2+2」は「4」であり、「出口」は「でるくち」と、決まりきった形に教え、それをもとにして「2+2はいくつですか」「出口とはどういうことですか」と、結果がわかりきっており、誰でも同じ答えが出せるような質問をし、あらかじめ決められた答えだけを要求するから、子供たちは少しも考えなくてもよい。人と違った答えは認められないのだから、少しでも早く指名されることを必要とする。そのために「ハイハイ」とうるさく手を上げる。
 自分が指名されないで他の子が指名されてしまうと、「もうだめだ、言われてしまう」と、がっかりし、友達の答えが「4」ではなく、「でるくち」でないと、「しめた」と思い、「先生、ぼくに、ぼくに」と、またうるさく手をあげるこになる。そしてそういう授業の中で、考えない子供、人と交流できない子供、人の間違いを喜ぶ子供をつくっている。きめられた答えを忘れた子供は、もう何も考えることができないから、劣等感をもち、考えることを放棄するより仕方のない状態の教室をつくっている。
はい、まさしくそのとおりです!
 昔の軍隊の簡閲点呼は、それと同じ質のものだった。執行官の質問する事項も答えも決められており、質問が出ると同時に「ハイ」と大きな声を出して立ち、決められた答えを、できるだけわめくような大きな声で言えば「よし」と言われるのだった。少しも考えたり、新しい考えを出したりする必要はないから、いくらでも大きな声が出せるのだった。考えることのできないように、できるだけ大きな声を出させるということは軍隊にとっては大事なことだったに違いない。「ハイハイ授業」もだいたいそれに似たものである。・・・・』
スポーツの挨拶も同じだ。みんなでいる時は大きな声で挨拶できるが一人になるとまるで何もできない。考えることのできない典型的な例がそこにある。大きな声で返事するのは最高の教育だと信じているひとは注意されたし。

 とまあ、こんな文章である。現代にも似たようなことがいっぱいあります。それを「指導」とか「教育」とか呼ぶのですからそこで指導・教育を受けた子供はどうなるのでしょうか。
 昨日、某中学教師からこんなメールをいただいた。大まかな内容は「この土日に遠征した。相手は全国に出るような強豪校が多かった。体育館の玄関できれいに整列して、受付の人に大きな声で挨拶していた。さすがだと思った。しかし、廊下ですれ違っても誰も挨拶してくれる子はいない。みんなで挨拶できても一人になると誰もできないのにビックリした。ロビーに座り込んでいる傍を大人が通っても誰も挨拶しないのである。そこに、先ほど受け付けにいた事務員さんが傍を通っても会釈もしない。あれれ?と思った。自分のチームの選手にこの話をした。生徒たちも思うところがあったのでしょうか、納得しているようでした。終了後、歩いて宿舎まで行く道中、地域の人に「挨拶」をしている子どもを見ると、微笑ましくなってきました。自分の判断で行動していく力をつけてほしいな・・・と思える一日でした。・・・」
by kusanokenji | 2009-03-31 11:08 | ■連載“日々努力”