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by kusanokenji
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<   2008年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

第858話、第859話でお約束した
「義足のバレーボウラー・・・沖縄県:新垣貴乃さん」の
手記が届きましたので掲載いたします。

「バレーボールと私」 
 私が交通事故に遭ったのは二十歳になってまだ二ヶ月頃のことでした。知り合いが運転する車で走行中、ガードレールにノーブレーキで助手席側から衝突したものでした。その衝撃はすごく、私の左足はガードレールと車に挟まれ、大腿骨の骨折により一瞬にしてジーパンが裂ける程のものでした。当時は大学二年次で、大学のバレー部、クラブチームに所属し、また休日はビーチバレーとバレーボール三昧の日々を送っていて、またそれがごく当たり前の日常でもありました。 ↓<高校生を指導する新垣さん(写真右)2008年2月小禄高校にて>
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 目が覚めると病院のベッドの上で、両親が心配そうな顔で立っていました。心配をかけてしまったのが何より心苦しかったです。その時は自分の症状がまだ把握できておらず麻酔の効き目もあってか何がどうなったのかさえ考えることができずにいました。しばらくして左足はどうなったんだろうと右足で触ろうとしました。しかし平行移動して触れるはずの足が「無い」んです。「無い」という感覚が無かったのでまさかと思いながら布団の中でもぞもぞしてたら、それを見ていた母から足を切断した事実、経緯を知らされました。症状名は「大腿骨骨折及び左下腿切断」。ショックは受けたものの起こった事はしょうがないとその事実を受け入れました。私が足を切断した事で一番辛くて悲しいと思ったのは何よりも「もうバレーができない」事でした。バレーができなくなった事実を突きつけられたときに初めて自分はこんなにバレーが好きだったんだなと実感しました。しかし当時はまだ若かったせいかそこでバレーを諦めるという選択肢はなく、このままでは終わりたくない、もう一度コートに立ちたいという気持ちでいっぱいでした。また不幸中の幸いだったのは、膝が残っていたことでまた走ったり跳んだりできるようになることは可能だと言われたことも励みになりました。
 入院して三ヶ月頃から訓練用の義足を履いてのリハビリが始まりました。久しぶりに左足に体重を乗せると不思議な感じがしました。それからは普通に歩くという動作がこんなに難しいものかと思う程左足に体重を乗せて歩くことができず、この先バレーどころか日常生活をまともに送れるようになるまでどれぐらいかかるのかと焦り思い悩む事もありましたが、そこは楽観主義的な性格もあり、なるようになると思いながら日々リハビリに励みました。
 ちょうど半年間入院したのですが、退院してからまずは日常生活に慣れながら、大学、クラブチームのマネージャーから私のバレー生活がスタートしました。そしてプレーヤーとしてパスから始まり、徐々に対人、レシーブ練習、スパイク等参加できるようになっていきました。その過程で日常生活用の義足では性能的に全力で走ったり跳んだりできない為スポーツ用の義足を作ってもらいました。参考までに義足でバレーをするということは、私の場合重さが約3kgあり、膝は100度程度しか曲げることができず(要はしゃがむことができない)等、結構動きに制限があります。ただ9人制はネットが低く、ローテーションもないので6人制に比べやりやすいのが良かったです。
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  最初はパスしかできなかったのが、少しずつ動ける範囲が広くなり、できなかったことができるようになってくるととても嬉しくて練習日が待ち遠しく感じました。またチームメイトも良い意味で気を使わないでいてくれるのでやりやすい環境でプレーできていると思います。スパイクを打てるまでになってからは試合に出てみたいという欲がでてきました。試合に出ることを目標としてもってはいたものの、いまいち現実味がなく無理なことだと正直思っていました。また沖縄では義足で試合出場という前例がなかったらしく、参加できるのか話が進まなかった時もありましたが、チーメイトの一人が色々と情報を集めてくれて県の協会に打診し認めてもらうまでに至りました。そしてタイミング良く、ライトポジションで先発として試合に出られる日がきました。事故から二年三ヶ月後でした。私のバレーボール人生においてこれほど緊張した試合は後にも先にもこれだけだと思います。顔もこわばり声も出ず、地に足がついていない状態でとても楽しめる余裕がありませんでした。それでも初めて決めた一点はもの凄く嬉しくて感慨深いものでした。
 義足でバレーを始めて約六年になります。これは今でもたまに感じることですが、健常者と一緒にバレーをやるということは身体的なハンデがあるのだから負けて当たり前、だけど負けたくない、同じプレーを求められても困る、だけど同じように扱ってほしい等、相反する想いが交錯してもどかしく、悩む事もあります。もっと走りたい、もっと跳べたら、自分に足があったらと・・・。とにかく私は五体満足でバレーをしている人全員が羨ましいです。
 私は足を失ったことで初めて当たり前の日常の大切さに気づきました。しかしそうなることで人一倍バレーができる喜び、楽しいと感じられるのだと思います。よく「義足でバレーをするってすごいね」と言われますが、それは私にとって今では何ら特別なことではなく皆がやっているのと同じ感覚で取り組ませてもらっています。最近、またバレーができる「当たり前」の日常に慣れ、練習に対し手を抜くようなことがないか、初心を忘れずに頑張っていきたいです。今年で27歳になり、後何年現役でいられるか分かりませんが、満足して引退できるようなバレー人生を送りたいと思います。その為に一回一回の練習、試合を大事にしていきたいです。

 今回のメール作成にあたり事故当時の心境や今日に至るまでを思い返し、改めてバレーに対する想いを再認識する良い機会になりました。要点だけを書く形になりましたが、拙い文章を読んでいただきありがとうございます。これからも感謝の気持ちを常にもち、取り組んでいきたいと思います。
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2008年3月 沖縄県 新垣貴乃
 
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by kusanokenji | 2008-03-24 20:23 | ■連載“日々努力”
いつも「日々新た」に訪問くださってありがとうございます。

一週間も更新できなくて申しわけありません。

各方面にはいろいろご心配おかけしました。
沢山のメールありがとうございました。

現在なかなか時間がとれずに更新できない状況です。

しばらくはお休みになりますがそのうちまた復活したいと思っています。

よろしくお願いします。

取りいそぎ お知らせまで  草野健次
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by kusanokenji | 2008-03-09 17:04 | ■連載“日々努力”
岐阜県池田町のバレー塾へ橋本のティンカーが初参加。
ティンカーにとって泊りがけのおでかけはチーム発足以来初の出来事。
小学1年から5年間までの25名。
週2回の練習で「巧みな動きづくり」が主な目的のチームなので勝負は2の次。

一緒に泊まったりして行動をともにして思ったことは

「人間教育」にもってこいの遠征!

この体験は一生わすれないだろうな。
脳とハートに刻み込まれた遠征になったに違いない。
朝のみんなの動きを見て、逞しさを感じました。

バレー塾でカリキュラムを工夫して、
遠征付の「お子様人間力教育支援事業」も考えてもいいなと思った次第。
最高の教育の場になるようなそんな気がしました。
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by kusanokenji | 2008-03-02 22:02 | ■連載“日々努力”

講習会

第529回 <In池田Ⅴ>
3月1(土)~2(日):岐阜県西濃バレー協会
2日間:指導者40名、生徒200名★受講者累計 97、120名  
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<ティンカーベルズ初遠征>・・・ティンカーベルズにとって泊りがけの合宿遠征はチーム発足初。小学1年生から5年生まで25名が岐阜県池田町までやってきました。宿泊は研修所。朝は6時半くらいには洗面して各自用意して、自分より大きな貸しフトンをせっせと片付けている姿を見て「おー、これは成長するね」と思いました。練習試合のための遠征ではなく、いわば「はじめてのお使い」みたいな感覚で「始めての合宿!」体験。あらゆることより自立への第1歩、そんな感じがしました。試合に勝っためけたなどちっぽけに見えた瞬間。講習会では小さいながらいい動きで大活躍でした。
<スパダンスのその後>・・・踊りがどのように実践につながるか・・・・そこをチェック! いけますね。踊った後、すぐにボールで確認・・・これができたら次の踊りへ・・・これを繰り返す。初参加の滋賀県長浜南中学校もどんどん変化する姿に監督も思わず「はまりそ~!」
「長浜南中学校は滋賀県の体力向上推進校の研究指定を受けているので、D2ダンスやわくわく体操を4月から全校の体育の授業で取り入れようと考えています。」とおしゃっていました。すでに体育でD2ダンスを導入されている学校の先生がいましたらご連絡欲しいとのことでした。草野までおしれせください。アドレスをお知らせします。販売されているDVDにはない「ペアーD2」も覚えてもらいました。
<かなり定着>・・・池田町では5回目の開催。(^^)馴染みの指導者達も多くかなり定着の感想。今回も協会のスタッフが音響やビデオ撮影に大活躍。お陰で笑顔いっぱいの賑やかな講習会となりました。養老とか揖斐川など他地区からの参加も多く、付き添いのお母さん方も朝から晩までご苦労様でした。
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by kusanokenji | 2008-03-02 21:23 | ■講習会リポート

第878話・・・感謝

土曜日、講習会のため朝早く出発しなければならない。
夜中にふと目が覚めて、あーしんどいなーと思ったが
「ちょっと待て、あーしんどいなーと思えることに感謝せんといかんのと違うか」
そう思った。
「あーしんどいなーと思っても行かなければいけないところがある」
「待ってくれてる人がいる」
そこに行ける自分に感謝すべきじゃないか、と思えたのである。
そう思えたら、道中快調だった。
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by kusanokenji | 2008-03-02 20:16 | ■連載“日々努力”