第859話・・・義足のバレーボーラーⅡ
2008年 02月 04日
「まだ20歳だったので、ここでバレーやめてたまるかと思いました」
これが彼女からの言葉です。
「自らの意志が自らを助ける」とはこのことか、と鳥肌が立ちました。
長ったらしい惨めな話は一斉出てきません。またこちらも聞きません。
そういうのは当然すぎ、当たり前だからです。
聞くほうが野暮ってもんですね。
黙っていても相手の言いたいこと聞き取れる感性でありたいと思いました。
そんな彼女との会話でした。
一方、
小学生で「もうバレーはイヤだ、もうバレーは十分だ・・・」
そんな言葉を吐く子供との違いはどこからくるんでしょうか。
「子供が悩んでいる」「部活が楽しくない」「やめたい」「行きたくない」・・・
そういう悩み、グチを大人から聞くたびに胸が痛い。
ママさんバレーでも、実業団でも、男子学生でも
「人が集まればもめごとが発生」するメカニズムは小学生と同レベル。
大人はもっとしっかりせい!と言いたくなる。
微分・積分などの高度な知識がなくとも人間は生きていくうえでは支障はない。
しかし、読み書き、人の痛みを知るなどの人間としての本質の部分は
小学生のときに学ばないと生きていくうえで大きな支障をきたすものだ。
その時に、他人を蹴散らしてでも勝つことを教えていいはずがない。
いいはずがないことを小学生に教えているとなればこれは教育の大問題だ。
しかし、命令で仕方なく歯を食いしばって頑張る根性バレーは否定するけど
少々の困難に挑戦する姿を教えるのは大賛成だ。
そういう考え方、生き方を教えるのが指導者の本質だと思うのだが・・・。
彼女の手記が楽しみだ。